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東京地方裁判所 昭和34年(ヨ)2144号 判決 1959年10月27日

申請人 こだま労働組合

被申請人 顔新添

主文

被申請人は申請人に対し金五〇、〇〇〇円を支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は主文第一項同旨の裁判を求め、被申請人は「本件仮処分申請はこれを却下する。」との裁判を求めた。

第二、申請の理由

一、申請人は、東京都豊島区池袋二丁目一、一四四番地において喫茶店「こだま」を経営する被申請人に同店従業員として雇傭された者を以て昭和三三年九月二八日結成された労働組合であり、現在の組合員数は一三名である。

二、申請人は、同年一〇月当時組合員数が二五名で、川村江一が執行委員長であつたが、被申請人において昇給ストツプ等労働条件の改悪を目的としたが就業規則を制定、実施しようとしたことに反対し、同年一〇月一二日からストライキに突入したところ、同年一一月一二日東京都地方労働委員会(以下「都労委」と略称する。)の斡旋により、被申請人との間に、

「昭和三三年九月二六日以降一一月一二日までの間の賃金を含め、経営者(被申請人を指す。)は組合(申請人を指す。)を通じ組合員に対し総額一五〇、〇〇〇円を支払う。右のうち一〇〇、〇〇〇円は一一月一二日中に支払い、残額は一一月以降各月の利益の一五パーセントを以て充当する。」

との条項を含む書面による協定を締結して右ストライキを終熄せしめ、かくして同年一一月一四日から喫茶店「こだま」の営業が再開されるに至つたのであるが、被申請人は、昭和三四年五月二四日右喫茶店を閉鎖してその営業を中止した。

三、(1) 申請人所属の組合員二五名は、昭和三三年九月二六日以降一〇月一一日までの間の賃金、総額約九〇、〇〇〇円余を支給されていなかつたのみならず、同月一二日以降前記ストライキを決行したため、それでなくても平均六、五〇〇円という低賃金の下に辛うじて維持して来たその生計に甚だしい打撃を受け、このような窮状から免れ、争議解決後安んじて就労できるようにするには、いわゆる立上り資金を必要とする状態に陥つていた。

そこで、被申請人は申請人に対し組合員のこのような窮状を緩和するための争議解決の示談金として総額一五〇、〇〇〇円を支払うことを約したのである。

右条項に「賃金を含め」とあるのは、右示談金が前述のように賃金未払等によつて困窮していた組合員の生活を保障するためのものであることを意味するものであり、又同条項に「組合を通じ組合員に対し総額一五〇、〇〇〇円を支払う」とあるのも、申請人において右金員を被申請人より受領した後内部処理としてこれを組合員に分配する趣旨を念のため表現したに過ぎない。

右一五〇、〇〇〇円は前記のような性質のものであつたところから、申請人は協定の成立と同時に全額その支払を受けるべきことを希望したのであるが、被申請人から内金一〇〇、〇〇〇円は協定締結とともに直ちに支払えるが、残額五〇、〇〇〇円については同年一一月分以降の営業利益を以て支払うことにしてもらいたくその支払資金を各月の利益の一五パーセントとしておけば、同年一一月末には金一〇、〇〇〇円、同年一二月末には金三〇、〇〇〇円乃至四〇、〇〇〇円は確実に支払える旨の申入があつた結果、残金五〇、〇〇〇円については前示の如く同年一一月以降各月の利益の一五パーセントを以て支払う旨の表現が協定書においてなされたのである。従つて、右五〇、〇〇〇円は遅くとも同年一二月末日までに完済される約定であつたのである。

(2) 仮に右主張が認められないで、前記条項の文言どおり右五〇、〇〇〇円は同年一一月以降各月の利益の一五パーセントに相当する金額を逐次支払つて完済する約定であつたとしても、

(イ)  被申請人は、喫茶店「こだま」の経営により、同年一一月中(前記争議が解決して営業を再開して同月一四日以降末日まで)には金一〇〇、〇〇〇円を下らない利益を、同年一二月中には金三〇〇、〇〇〇円を下らない利益をあげたのであるから、これ等利益の一五パーセントに相当する金額は同年一一月分については金一五、〇〇〇円、同年一二月分については金四五、〇〇〇円となるので、前記金五〇、〇〇〇円の内金一五、〇〇〇円に関しては同年一一月末日に、その残額金三五、〇〇〇円については同年一二月末日にそれぞれ弁済期が到来したものというべく、

(ロ)  仮にそのように認められないとしても、被申請人は少くとも喫茶店「こだま」を閉鎖した昭和三四年五月二四日までにはその一五パーセントに相当する金額を前示金五〇、〇〇〇円の弁済に充当するに足りる利益をあげて来たのであるから、遅くとも右日時当時までには右金五〇、〇〇〇円は全部弁済されるべきものであつたのである。

(3) 仮に右主張が認められないとしても、前記示談金は、結局その全額が支払われるべき性質のものであつて、ただその内金五〇、〇〇〇円については、被申請人の要請に基いて、前述のような約旨の下にその弁済が猶予されたに過ぎないから被申請人が現に喫茶店「こだま」を閉店して示談金の残金五〇、〇〇〇円を約定に従つて支払うことができなくなつた以上、その時を以て右金額について弁済期が到来するものと解すべきであり、前記協定の条項もその趣旨で定められたものである。従つて被申請人が喫茶店「こだま」を閉店した昭和三四年五月二四日限り、本件金五〇、〇〇〇円の弁済期が到来したものというべきである。

四、申請人が被申請人から前記金員の支払を受けた場合に申請人よりその分配を受けるべき前記協定成立当時における組合員はいずれも平均七、五〇〇円の低賃金で生活しており、しかも前述のとおり被申請人から賃金の支払を受けられなかつたことやストライキ中に借金をしたこと等のため経済的窮迫が著しく、その上右組合員のうち田中令子は昭和三四年三月三一日付を以て、田村泰子、慶野和子、丑丸寿子及び重野千枝子は同年四月一五日を以てそれぞれ解雇する旨の通告を被申請人より受けたのであるが、右五名は解雇が不当労働行為であるとして都労委に救済を申立て現にその審理が続けられており、その困窮は特に著しいものがある。

申請人は右の者等のかかる窮乏をいくらかでも緩和すべく被申請人に対し前記協定に基く示談金の未払金五〇、〇〇〇円の支払を請求する本案訴訟を提起すべく準備中であるが、結成後日も浅く、資金も乏しい申請人としては、本案訴訟に勝訴するまでの間自らの資力によつて右の者等の生計を救いうるだけの余裕がなく、組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織された労働組合としての機能を果し得ず、その存立の目的をも失う結果となり、回復すべからざる損害を蒙るので、本申請に及んだ次第である。

第三、被申請人の答弁

一、申請の理由中被申請人が申請人主張の日時まで喫茶店「こだま」を経営していたこと、申請人が被申請人の雇傭する右喫茶店の従業員によつて結成された労働組合であること、被申請人と申請人との間に申請人の主張するような経緯により被申請人が申請人に対し示談金として金一五〇、〇〇〇円を支払うことを主旨とする申請人主張の如き内容の協定が締結されたことは、認めるが、その他は争う。

二、(1) 昭和三三年九月二八日被申請人の定例店員会議において就業規則が審議された際、申請人は営業の現状を無視した年三回に亘る基本給の三割昇給という要求を提出し、開店後日が浅く経営が軌道に乗らない現状では年三回の昇給は不可能であるから昇給は年一回とし、成績優秀者に対しては臨時昇給を行うことにしようとの被申請人の説明及び被申請人からの就労勧告にもかかわらず、同日の就業を拒否し、同年一〇月一二日よりストライキに突入したのであるが、同年一一月一二日都労委の斡旋により申請人と被申請人との間に申請人の主張する協定が成立してストライキは円満解決した。

(2) 右協定による示談金一五〇、〇〇〇円中五〇、〇〇〇円の未払金については弁済期が未到来である。

(イ)  被申請人は都労委の斡旋において当初未払賃金八二、六三〇円のみを支払う旨主張したのであるが、申請人から争議が解決して営業が再開されれば、所属組合員一同において売上の向上に努力するから一五〇、〇〇〇円の支払を承諾して内金一〇〇、〇〇〇円は即時支払つてもらいたいが、残額五〇、〇〇〇円については営業再開後における毎月の利益の中からその一五パーセントに相当する額を逐次支払つてくれればよい旨の要請があり、結局そのとおりに両者の合意が成立し、申請人の主張する文言の条項が右のような趣旨で協定書に記載されたのである。

(ロ)  かくして争議が解決し、同年一一月一四日から喫茶店「こだま」の営業が再開されたのであるが、爾来被申請人は遂に前記金五〇、〇〇〇円の弁済に充当し得べき利益をあげることができなかつたのである。即ち同年一一月一四日以後喫茶店「こだま」の営業成績は、争議開始前よりも却つて低下したのみならず、被申請人は争議中無収入であつたのにその期間中喫茶店「こだま」が申請人の管理の下に経営された当時におけるガス代、電気料、水道料、広告費等の諸経費の未払分を自ら支払うことを余儀なくされ、又、売上高の低下にもかかわらず、従業員数に変動がないため人件費は減少せず、結局同月の決算では赤字であつた。

更に、一二月という月は被申請人のようないわゆる水商売の業者にとつては年間を通じて最大の書き入れどきであるクリスマスを控えているのであるが、あたかもこの時期を捉えて申請人は被申請人に対し越冬資金の支給を要求し、申請人の当時の執行委員長川村江一は「店が潰れようが取るものは取らなければ馬鹿だ。」と放言して借金をしてでも要求に応ぜよと迫り、同月二六日には申請人の組合員によつて一日間のストライキが決行されたのである。被申請人の営業は当時いわゆる自転車操業の状態で、仕入先よりの買掛金は増加する一方という苦境にあつたが、一度信用が失われればこのような自転車操業すら続けられなくなり、赤字経営を挽回する機会を失することともなるのを慮り、被申請人は金四〇、二〇〇円の借入金をしてようやく従業員に越冬資金を支給したのであるが、同月の収支もまた赤字となつたのである。

この間被申請人は買掛金の支払繰延べを重ね、支払のため振出した先日付小切手も不渡となることが五回にも及ぶ有様であつたが、従業員の給料だけは辛うじて遅滞なく支払つて来たのである。喫茶店「こだま」の営業状態は昭和三四年に入つてからも全く好転するところがなかつたのであるが、被申請人は同年二月二〇日さきに病気を理由に退職したもと申請人の執行委員であつた安藤嘉明に湯呑茶碗でいきなり顔面を殴打され、右眼球障害、右上下眼瞼切創の重傷を蒙つて入院し、現在も通院加療中であるが、回復の見込のない失明状態に陥り、この間喫茶店「こだま」の経営に混乱を来たし、売上高は日々激減した。

これに加えて同年四月一日東京都の改正風俗営業取締条例が公布され、従来終夜営業を行つていた喫茶店「こだま」の終業時間を午後一一時半に繰上げなければならなくなつたため収入はますます減少し、遂に同年五月二四日を以て経営不振のため閉店の止むなきに至つた。

これを要するに昭和三三年一一月以降閉店に至るまでの間における喫茶店「こだま」の経営は収支償わず、前記協定に基く金五〇、〇〇〇円の弁済に充当し得べき利益はあがつていない実情にあり、しかも前記のとおり昭和三四年四月一日から営業時間を大幅に短縮せざるを得なくなつたため従業員数に過剰の生じたのを機会に、被申請人はやむなく従業員中出勤状態の不良なものや仕事に積極性が乏しく接客態度のよくないもの等を一ケ月の予告期間をおいて同年四月三〇日限り解雇した程であつて、結局前記金五〇、〇〇〇円については協定の条項に定める弁済期が到来するに至つていないのである。

(ハ) 被申請人は、申請人と協定を締結する当時、喫茶店「こだま」が営業不振により閉店の止むなきに至るなどという事態の起ることはもとより予期だにしなかつたし、念頭にもなかつたのであるから、申請人の主張する協定の条項がその主張のような趣旨の約定のものとして定められる道理はありえようはずもないのである

第四、疏明関係<省略>

理由

第一、申請人の当事者適格

申請人が喫茶店「こだま」を経営中であつた被申請人によつて雇傭された右喫茶店の従業員によつて結成された労働組合であることは当事者間に争がなく、申請人の主張するような組合員名簿であることについての争のない甲第六、七号証によると申請人の組合員は昭和三三年一一月一五日当時においては二四名、昭和三四年五月一五日当時においては一三名であつたことが認められるところ、申請人が法人格を有するものでないことは本件弁論の全趣旨に徴して明らかであるので、申請人は民事訴訟法第四六条にいわゆる法人でない社団で代表者の定のあるものに当るものというべく、しかも本訴は後述する申請人と被申請人との間に成立した協定に基く示談金一五〇、〇〇〇円の内金五〇、〇〇〇円の未払金の請求にかかわるものであるから、申請人は本訴について申請人たる適格を有するものというべきである。

第二、本件協定の成立

昭和三三年一一月一二日都労委の斡旋により申請人と被申請人との間に「昭和三三年九月二六日以降一一月一二日までの間の賃金を含め、経営者(被申請人を指す。)は組合(申請人を指す。)を通じ組合員に対し総額一五〇、〇〇〇円を支払う。右のうち一〇〇、〇〇〇円は一一月一二日中に支払い、残額は一一月以降各月の利益の一五パーセントを以て充当する。」との条項を含む書面による協定が締結されたこと及び右条項は当時申請人と被申請人との間に発生していた労働争議を円満に解決するための示談金として金一五〇、〇〇〇円を被申請人から申請人に対して支払うとの約定に関するものであることは当事者間に争がない。

第三、本件協定の前示条項に定める残額金五〇、〇〇〇円の弁済期

申請人は前記示談金一五〇、〇〇〇のうち即日弁済すべき金一〇〇、〇〇〇円を差引いた残額金五〇、〇〇〇円については遅くとも昭和三三年一二月末日までに喫茶店「こだま」の経営による利益によつて被申請人においてその支払を完了する約定であつたのであつて、前記協定条項の文言はその趣旨を表現したものに他ならないと主張するので、以下この点について判断する。

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第二号証、甲第三号証、甲第八号証に証人伊藤護平の証言及び申請人代表者の尋問の結果(但し、右証言中後記採用しない部分を除く。)を綜合すると、申請人と被申請人との間に本件協定が成立するに至つた経緯につき次の事実が認められる。

(1)  都労委における斡旋において申請人は当初その所属の組合員に対する未払賃金の弁済及び争議に原因する申請人の借入金についての弁償等のため被申請人に対し金三〇〇、〇〇〇円の支払を要求したのであるが被申請人の回答した金額は金二八、〇〇〇円であつた。その後数次に亙る折衝が重ねられたのであるが、昭和三三年一一月八日都労委の斡旋員神谷輝男から被申請人の申請人に対する支払金額を金一九〇、〇〇〇円としてはどうかとの提案がなされ、申請人はこれを了承したけれども、被申請人が同月一〇日右提案の受諾を拒否したので、都労委による斡旋は一応打切りとなつた。

(2)  ところが同日夜被申請人の相談役と称する栗原初太郎から申請人の当時の執行委員長川村江一に対してなされた申入に基いて翌一一日再び都労委において交渉が行われ、その際栗原初太郎から提示された案に従つて支払金額を金一五〇、〇〇〇円とすることに決まつた。

(3)  申請人は一五〇、〇〇〇円の全額即時支払を強く要求したが、被申請人は金一〇〇、〇〇〇円を直ちに支払い、残額金五〇、〇〇〇円については被申請人の営業上の利益の中から分割して支払をしたい旨申入れるとともに、被申請人の経理事務員伊藤護平から、喫茶店「こだま」の過去の営業実績からみて右金五〇、〇〇〇円の弁済資金を毎月の利益の一五パーセントと見積れば、同年一一月分の利益から金一〇、〇〇〇円程度、同年一二月分の利益から金三〇、〇〇〇円乃至四〇、〇〇〇円程度を弁済に充当できる見込であり、万一そのとおりに行かなくても昭和三四年一月分の利益の一五パーセントを弁済に当てれば、優に金五〇、〇〇〇円をその時までには全額完済できるであろうとの説明がなされた。申請人もこの説明に信頼して、金五〇、〇〇〇円に関しては被申請人の申出にかかる方法により分割支払を受けることで満足することとなり、かくして前記のような条項を含む協定を被申請人と締結するに至つた。

証人伊藤護平の証言中右認定に反する部分は採用しない。

右に認定したところから考えるときは前記協定の締結に当つて残額金五〇、〇〇〇円の支払が昭和三三年一二月末日又は遅くとも昭和三四年一月末日までには完了するであろうという予想なり期待なりが被申請人にも申請人にも存し、これが前提となつて前記のような条項が定められたものと解するのが相当である。

しかしながら右条項の文言からしても、上述したその成立に至るまでの経緯からしても、申請人の主張するように昭和三三年一二月末日までに金五〇、〇〇〇円の弁済を完了するという合意が協定の内容をなすものとして申請人と被申請人との間に成立したものとは到底考えられないし、又そのような認定をなしうるような疏明は見出されないので、申請人の前掲主張は理由がないものといわざるをえない。

第四、本件協定による示談金の残額金五〇、〇〇〇円についての弁済期の到来の有無

一、叙上のように、右金五〇、〇〇〇円の最終弁済期が昭和三三年一二月末日に到来するとの約定であつたとする申請人の主張が理由のない以上、右金員の支払については、前記条項の文言どおり昭和三三年一一月以降における各月の利益の一五パーセントに相当する金額について順次弁期が到来するものと約定された(右条項所定の方法による弁済が不可能となつた場合に関することは、ここでは論外とする。)ものと解する他ないのである。そこでこの場合において果して申請人の主張するように被申請人において前記金五〇、〇〇〇円の弁済資金に充てるべき利益を昭和三三年一二月末日までにもしくは昭和三四年五月二四日までにあげるところがあつたかどうかについて判断する。

(イ)  弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第九号証乃至甲第一六号及び申請人代表者の尋問の結果によれば、(1)被申請人は毎月、その月中の一日の売上高があらかじめ定めた基準金額に達すると「小入り」、「大入り」又は「特入り」(但し、「特入り」は一二月に限る。)と称して従業員に報奨金を支給するのを例としていたのであつて、例えば、昭和三三年一一月中における「小入り」の基準は売上金三〇、〇〇〇円、同じく「大入り」の基準は売上金三八、〇〇〇円、同年一二月中における「小入り」の基準は売上金四三、〇〇〇円、「大入り」の基準は売上金五〇、〇〇〇円、「特入り」の基準は売上金七〇、〇〇〇円と定められたこと、(2)同年一一月中には「小入り」の基準に達した日が五日あり、同年一二月中には「小入り」の基準に達した日が六日、「大入り」の基準に達した日が二日、「特入り」の基準に達した日が二日あつたこと、(3)同年一二月の二四日と二五日の両日はクリスマス・メニユーと称して他の日よりも高い料金をとるので、売上高も多くなり、従つて利益も大きかつたことが認められる。右認定に牴触する証人伊藤護平の証言は採用し難い。

証人伊藤護平の証言により被申請人の経営する喫茶店「こだま」の会計係である同人が作成したものと認められる乙第一号証には、被申請人の営業は昭和三三年一一月において金九六、四九三円、同年一二月において金六、二四四円の損失(減価償却費を計上しない損益計算によるもの)を生じた旨の記載がある一方において、乙第二号証(伊藤護平の陳述書)には、同年一一月は売上高が金三六三、〇〇〇円、人件費その他の支出が金三七四、〇〇〇円で差引き金一一、〇〇〇円の損失、同年一二月は売上高が八八七、〇〇〇円で人件費その他の経費を差引いて約金一〇、〇〇〇円の損失を生じた旨の記述がみられるが、この両者を比照するに昭和三三年一一月及び同年一二月中における被申請人の営業上の損失額について彼此の間にかなり相違があり、殊に乙第二号証において示されている前示売上金額及び人件費その他の費用の額と乙第一号証において前掲損失額の計算の基礎として掲げられている売上金額及び人件費その他の経費の額との間にも相当な距りのあることが明らかであるのであるところからいつても、乙第一、二号証は被申請人の主張する如く喫茶店「こだま」の経営による利益が昭和三三年一一月及び同年一二月中は皆無であつたことを認めるための疏明に供するに足りないものというべく、被申請人の右主張に副う証人伊藤護平の証言も採用することができない。

してみると被申請人は喫茶店「こだま」の経営により昭和三三年一一月及び同年一二月中に利益をあげたものと推認できない訳ではないが、さればといつて申請人の主張するようにその一五パーセントに相当する金額が金五〇、〇〇〇円に達する程度即ち金三三三、三三三円強の利益を被申請人が前記二ケ月の間に収めたものと認めるに足りる疏明はない。

そうだとすれば遅くとも昭和三三年一二月末日までに本件請求金額の全部につい弁済期が到来したという申請人の主張は失当である。

(ロ)  そこで次に昭和三三年一一月一四日以降昭和三四年五月二四日までの間に被申請人が本件示談金の残額金五〇、〇〇〇円の弁済に充当しうる利益をあげたかどうかについて検討する。

右期間即ち六ケ月一〇日の間にその一五パーセントが金五〇、〇〇〇円に達する程度の利益合計金三三三、三三三円強をあげるためには一月に平均して金五二、六三一円強の利益があればよいことは計数上明らかである。ところで、昭和三三年一一月及び同年一二月中における喫茶店「こだま」の営業状態については、先に認定したとおりであるが、更に前掲甲第九号証乃至甲第三号証及び甲第一五号証に申請人代表者の尋問の結果を綜合すると、昭和三四年一月には一日の売上が「小入り」の基準として定められた金三三、〇〇〇円に達した日が八日あり、同年二月以降においても土曜日と日曜日にはおおむね「小入り」の基準に達する売上があつたことが認められるところ、前顕乙第一号証によれば、昭和三三年二月以降同年五月までの四ケ月間における喫茶店「こだま」の営業上の利益は減価償却費を控除しないままで、一ケ月当りの最低が金一二、八二二円、同じく最高が金一五七、八七八円で、総計金三二八、七六五円であつたことになつているので、右四ケ月間における一ケ月平均の利益は金八二、一九一円強になる計算である。今この計算を考慮に入れつつ昭和三三年一一月一四日(この日から喫茶店「こだま」の営業が再開されたことは当事者間に争がない。)から昭和三四年五月二四日までの間に被申請人が右喫茶店の経営によりあげたであろう利益を推計するに、証人伊藤護平の証言によつて認められる、従業員の増加に伴う人件費の増大、昭和三三年一二月二六日申請人からの越年資金支給要求に関する団体交渉のため一日休業を余儀なくされたこと、昭和三四年四月一日以後都条例の改正に伴つて営業時間を短縮せざるをえなくなつたこと及び当事者間に争のない、被申請人が喫茶店「こだま」の営業を昭和三四年五月二四日限り廃業したこと等の諸事情を斟酌すると、被申請人が昭和三三年一一月一四日から昭和三四年五月二四日までの間に少くとも総額にして金三三三、三三三円強、一ケ月平均にして金五二、六三一円強の利益を喫茶店「こだま」の経営によつてあげたものとは到底考えることができないのであつて、右認定に反する申請人代表者の尋問の結果その他の疏明は採用しない。

なお、証人伊藤護平の証言及び申請人代表者の尋問の結果によると、前記協定の条項にいわゆる利益とは減価償却費を算定する以前の状態における利益を意味するものであつたことが認められるけれども、右認定に鑑みるときは、右協定に基く示談金の残額金五〇、〇〇〇円の弁済に充てるべき、右の意味における利益を昭和三三年一一月一四日から昭和三四年五月二四日までの間に被申請人があげえたものとは到底認められない。

二、ところで、被申請人の経営する喫茶店「こだま」が昭和三四年五月二四日を以て閉鎖されるに至つたことは当事者間に争がない。

申請人は被申請人が申請人との協定において示談金の残金五〇、〇〇〇円の支払を喫茶店「こだま」の経営による利益の一部を以て順次行う旨約定したのは、単にその弁済期を猶予したに過ぎないものであるから、被申請人が廃業の結果喫茶店営業による収益をあげ得なくなつた場合にはその時を以て右金額につき弁済期が到来するものとする約旨であつたと主張するので、以下この点につき検討を加えることとする。

さきに認定したような申請人と被申請人との間に協定の締結されるに至つた経緯、特に右協定によつて被申請人が申請人に支払うことを約した示談金の性質から考慮すると、本件金五〇、〇〇〇円は昭和三三年一一月以降における喫茶店「こだま」の経営による利益の一部を以て支払われることに定められたとはいえ、結局は完済されるべきものであつて、約定の方法による弁済資金の調達が不可能になつたことのために、これを支払うべき被申請人の債務に消長を来たすような趣旨のものではないことが明らかである。換言すれば、右金五〇、〇〇〇円の支払については不確定期限が附せられたものと解するのが相当である。そうだとすれば、喫茶店「こだま」の経営を中断したことにより協定に定める方法による示談金の残金五〇、〇〇〇円の弁済が期待できなくなつたものと考えざるをえない以上、その時即ち昭和三四年五月二四日限り本件金五〇、〇〇〇円についてはその弁済期が到来したものと解するのが相当であるから、申請人は被申請人に対しその支払を求める権利を有するものというべきである。

第五、本件仮処分の必要性

本件協定による示談金は被申請人から申請人に支払われる約定であつたことは既述のとおりであるけれども、前顕甲第二、三号証及び弁論の全趣旨によると、右示談金は申請人が被申請人からその支払を受けた上これを本件協定成立当時の申請人の組合員に分配すべきもので、既に支払われた金一〇〇、〇〇〇円についてはその分配が行われたことが認められるし、又申請人が上述のとおり法人格を有しない社団に当ることをも考え合せるときは、右示談金の支払を受けるについての実質的な利益はこれ等の者に帰属するものというべきであるから、本件仮処分における必要性の有無を考えるについては、本件示談金の残額金五〇、〇〇〇円の支払に関して右の者等が如何なる利害を有しているかという事情を閑却してはならないのである。

ところで前出甲第二、三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第四、五号証を綜合すると、本件協定成立当時申請人の所属組合員で申請人から右協定に基く示談金の分配を受けるべき者は引続き被申請人に雇傭されていたものでも賃金が少く、一部の者は昭和三四年四月中被申請人に解雇され、いずれも申請人が被申請人に対して争議を行う以前の昭和三三年九月二八日から本件協定成立当時までは被申請人から賃金の支払がなされなかつたため殆んど無収入で、この間多くの者は他よりの借金等でようやく糊口をしのいでいたこと、申請人は昭和三三年一一月一二日に被申請人から受領した示談金の内金一〇〇、〇〇〇円の中から争議中に申請人の負担した諸債務金三〇、四七五円を支払つた残額を組合員に分配したが、一人当りの分配額はわずかに約金二、八〇〇円に過ぎなかつたため、組合員は争議中にした借金の返済すらできず、中には下宿代の支払に困つて三人で一の下宿において同居生活を始める者も出たがその下宿代すら滞つているし、授業料が払えないため学校を卒業できない者もあり、各人とも生活に困窮しているが、申請人も財政上の基礎が薄弱で、これ等組合員の面倒をみる力はないことが認められる。

このような状況の下において被申請人から申請人に対する本件示談金の残額金五〇、〇〇〇円の支払が遅延することはその支払を受けた申請人から分配を受けることを待つている組合員の窮乏をますます深刻化させるのみならず更には申請人の団結を弱くしその組織の維持を困難ならしめるおそれのあることは想像するに難くないところである。そうだとすれば、被申請人に対し申請人に本件示談金の残額金五〇、〇〇〇円の仮の支払を命ずる仮処分をする必要性があるものというべきである。

第六、結論

以上の次第であるから本件仮処分申請を理由があるものと認めて認容することとし申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 大塚正夫 半谷恭一)

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